、すべてのものは、ちょうど河《かわ》の水のようにつねに流れているのです。動いているのです。ベルグソンもいっているように、私どもは同じ河の流れに、二度と足を洗うことはできないのです。水の流れは、つねに昼夜をわかたず、流れ流れて止《や》みません。一度足を洗った水は二度と帰らぬ水です。だが、それはひとり河の水ばかりではありません。私どももまた、つねに変化し移りかわっているのです。昨日の私は、もう今日の私ではありません。今日の私は、もはや明日の私でもありません。したがってこの「万物流転」と「相対依存」とは、まさしく因縁という母胎から生まれた、二つの原理であるわけです。縦[#「縦」に傍点](時間的)から見れば万物流転[#「から見れば万物流転」に傍点]、横[#「横」に傍点](空間的)から見れば相対依存[#「から見れば相対依存」に傍点]、この二つの原理は、実に疑うことのできない、宇宙の真理です。しかもこの真理に目覚《めざ》める時、私どもは、そこにはじめて国家、社会、人類の「恩」を感じ、「人生の尊さ」をハッキリ知ることができるのです。自分独りの自分ではない。私独りの私ではない。すべてのものによって養わ
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