見ることはできないわけです。それゆえに、この「勝義根」と「扶塵根」、つまり「視神経[#「視神経」は太字]」と[#「と」は太字]「眼球[#「眼球」は太字]」との二つが、揃《そろ》って完全であってこそ、はじめて私どもの眼は、眼の作用《はたらき》をするわけです。しかもこれは他の五根についても同様であります。
 対象の世界[#「対象の世界」は太字] 次に六境とは、六根の対象になるもので、色《しき》と声《しょう》と香と味と触《そく》と法とであります。六根に対する六つの境界という意味で、六境といったのです。ところで、この六境をまた「六塵」ともいうことがありますが、この場合、「塵」とは、ものを穢《けが》すという意味で、私たちの浄《きよ》らかな心を汚《よご》し、迷わすものは、つまりこの外からくる色と声と香と味と触と法とであるから、「六|境《きょう》」をまた「六|塵《じん》」ともいうのです。「六塵の境界」などというのはそれです。ただし六塵の中の「法塵」は、意根の対象となるもので、嬉《うれ》しいとか、悲しいとか、憎いとかかわいいとかいう精神上の作用《はたらき》(心法《しんぽう》)をいったものです。けだし、
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