以上に申し述べました、六根と六境とが、いわゆる「十二処」といわれるものですが、これをまた「十二|入《にゅう》」ともいっています。「処」は「場所」の所で、「生長」の義と解釈されていますが、六根が六境を受け入れ、よく意識を生長せしめるから、これを「十二処」といったのです。しかしてこの根と境とは互いに渉入し、根は境をとり、境から根を生ずるというように、相互に入れちがって、「渉入」するという意味から「十二処」のことを、また「十二入」といったのです。
 最後に「界」とは、詳しくいえば「十八界」ということです。「六根」と「六境」に、さらに「六識」を加えたもので、合計|三六《さぶろく》十八となるわけです。いったい、この認識の作用《はたらき》というものは、「根」と「境」と「識」との三つが、相応じ、一致しなければ、起こらないものです。で、単に「根」と「境」とだけで「識」がなければ、いわゆる「心ここにあらざれば、見れども見えず[#「見れども見えず」は太字]」です。あれどもなきがごとしです。現に私どもが何か仕事に夢中になっているときは、知らぬ間に時間がたってしまいます。一時間、二時間が、ホンの五分か十分ぐら
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