えて六根といったので、つまり私どもの身と心のことです。別な語でいえば心身清浄ということが六根清浄です。そこで、この「根」という字ですが、昔から、根とは、識を発《おこ》して境を取る(発識取境《はっしきしゅきょう》)の義であるとか、または勝義自在《しょうぎじざい》の義などと、専門的にはずいぶんむずかしく解釈をしておりますが、要するに根[#「根」に傍点]とは「草木の根」などという、その根で、根源とか根本とかいう意味です。すなわちこの六根は、六識が外境《そとのもの》を認識する場合は、そのよりどころとなり、根本となるものであるから、「根」といったのです。ところが面白いことには、仏教ではこの「根」をば、「扶塵根《ぶじんこん》」と「勝義根《しょうぎこん》」との二つに分けて説明しておるのです。たとえば、眼でいうならば、眼球《めのたま》は扶塵根[#「扶塵根」に傍点]で、視神経は勝義根[#「勝義根」に傍点]です。したがって、そこひ[#「そこひ」に傍点]の人のごとく、たとい眼球はあっても、視神経が麻痺《まひ》しておれば、色は見えませぬ。これと同時に、視神経はいかに健全でも、盲人のように眼球がなければ、ものを
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