ありがた》がりも、おそれもする。楠正成公じゃの、大石良雄じゃのと申す人は、たとい刃ものに身は失われても、今もって生きてござるではないか」といっていますが、たしかに、それは味わうべき言葉だと存じます。またその愛弟子の一人、品川弥二郎に贈った手紙のうちにも、
「死生の悟が開けぬようでは、何事もなしえない」
ということを、細々《こまごま》と教えていますが、わずか三十歳の若さで、国事に斃《たお》れた吉田松陰こそ、まことに生死を越えた人です。生死[#「生死」に傍点]をあきらめた人であります。
「われ今国の為に死す。死して君親に負《そむ》かず。悠々たり天地の事。鑑照神明にあり」
(吾今為[#レ]国死。死不[#レ]負[#二]君親[#一]。悠々天地事。鑑照在[#二]神明[#一])
といった、かれ松陰の肉体は消えました。しかし、その君国のために生きんとする、尊き偉大なる精神は、今日もなお炳乎《へいこ》として明らかに、儼然として輝いています。
私どもは五十年、七十年と限られた肉体的生命だけをみて、人生を判断せずに、もっと「永い眼」で人生を見直さなければなりません。スピノーザのいわゆる「永遠の相におい
前へ
次へ
全262ページ中82ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高神 覚昇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング