あきらめることは、豈《あ》に独《ひと》り仏|弟子《でし》のみに局《かぎ》らんや、です。それは、万人の必ず心すべきことではないでしょうか。しかも「生死《しょうじ》を諦めた人」こそ真に「生死を見ざる人」です。生死を見ざる人こそ、実に「生死に囚《とら》われざる人」です。しかも、この生死に囚われざる人にして、はじめて「不生不滅」の真理を、まざまざと味わうことができるのです。

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身はたとい武蔵の野辺《のべ》に朽ちぬとも留めおかまし大和魂
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 の辞世を残し、悠々《ゆうゆう》として刑場の露と消えたあの吉田松陰、松陰先生こそ、実に生死に囚われざる人です。生死を怖《おそ》れざる人です。生死に随順しつつ、生死を超越した人[#「生死を超越した人」は太字]です。不生不滅の真理を体得した人、いわゆる死んで生きた人[#「死んで生きた人」に傍点]であります。生前その妹さんに贈った手紙のうちにこんな言葉があります。
 死なぬ人[#「死なぬ人」は太字] 「さて死なぬ(不生不滅)と申すは、近く申さば釈迦、孔子と申すお方は、今日まで生きてござるゆえ、人が尊みもすれば、有難《
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