」に傍点]がどうの、不生不滅[#「不生不滅」に傍点]がどうの、空[#「空」に傍点]がどうの、般若[#「般若」に傍点]がどうのというような、自分らの生活と、全く縁の遠い理窟《りくつ》を、聞こうとは思わないのだ」と難詰《なんきつ》せられる方があるかも知れませぬ。が、しかしです。「無用の用[#「無用の用」は太字]」こそ「真の用」ではありませんか。理窟と見るは所詮《しょせん》僻目《ひがめ》です。「空」の原理、「不生不滅」の真理、それは偽ることのできない道理[#「道理」に傍点]です。いや、どうしても疑うことのできない事実です。仰せの通り、われわれ個人には、生き死にがあります。「自分の家」では、赤ん坊が生まれたかと思うと、「隣りの家」では、悲しい不幸が起こっているのです。人に生死[#「生死」に傍点]があるように、世間にもまた生滅があります。
しかしその生死の根本を尋ねたならばどうでしょうか。道元|禅師《ぜんじ》はいっております。
生をあきらめ死をあきらめる[#「生をあきらめ死をあきらめる」は太字] 「生を諦《あきら》め、死を明らむるは、これ仏家一大事因縁なり」
と。だがしかし、生を諦め、死を
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