気もち、真理を求めて往く[#「往く」に傍点]そのすがたと、真理を把《つか》み得て還る[#「還る」に傍点]その姿、若々しい青年の釈尊と、円熟した晩年の釈尊、私はこの『華厳経』と『法華経』を手にするたびに、いつもそうした感じをまざまざと味わうのです。
右のようなわけで、お経の名前は、それ自身お経の内容を表現しているものですから、昔から、仏教の聖典を講義する場合には、必ず最初に「題号解釈《だいごうげしゃく》」といって、まず題号《なまえ》の解釈をする習慣《ならい》になっています。で、私も便宜上、そういう約束に従って、序論《はしがき》として、この『心経』の題号《なまえ》について、いささかお話ししておきたいと存じます。
般若ということ[#「般若ということ」は太字] さていま『般若波羅蜜多心経《はんにゃはらみたしんぎょう》』という字の題を、私はかりに、「般若」と、「波羅蜜多」と、「心経」との、三つの語に分析して味わってゆきたいと存じます。まず第一に般若[#「般若」に傍点]という文字ですが、この言葉は、昔から、かなり日本人にはなじみ深い語《ことば》です。たとえば、お能の面には「般若の面」という恐ろ
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