なわちこの『華厳経』なのであります。
 法華経のこと[#「法華経のこと」は太字] ところで、この『華厳経』といつも対称的に考えられるお経は『法華経《ほけきょう》』です。平安朝の文化は、この『法華経』の文化とまでいわれているのですが、この『法華経』は、くわしくいえば『妙法蓮華経《みょうほうれんげきょう》』でこれは『華厳経』が、「仏」を表現するのに対して、「法」を現わさんとしているのです。しかもその法は、妙法といわれる甚深微妙《じんしんみみょう》なる宇宙の真理で、その真理の法はけがれた私たち人間の心のうちに埋もれておりながらも、少しも汚されていないから、これを蓮華《れんげ》に譬えていったのです。
 いったい蓮華は清浄《しょうじょう》な高原の陸地には生《は》えないで、かえってどろどろした、汚《きたな》い泥田《どろた》のうちから、あの綺麗《きれい》な美しい花を開くのです。「汚水《どろみず》をくぐりて浄《きよ》き蓮の花」と、古人もいっていますが、そうした尊い深い意味を説いているのが、この『法華経』というお経です。自分の家を出て他所《よそ》へ「往《ゆ》く」その時のこころもちと、わが家へ「還る」その
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