はじめて造ったといっていいのですが、これは、物と心とを一つのものに対する、二つの見方として、眺《なが》めてゆこうという、つまり、全体的立場、もちつもたれつ[#「もちつもたれつ」に傍点]という因縁の立場[#「因縁の立場」に傍点]、縁起の意味においてこの二つのものを、一つのものの内容[#「一つのものの内容」に傍点]として見てゆこうというのです。だから、それは縁起史観といってもよいのです。たいへん、話がめんどうになりましたが、ちょうど人間に肉体と精神との二方面があるように、人間の社会にも、物質的方面と精神的方面との、二つがある事をハッキリ知っておかねばなりません。したがって精神を否定する唯物思想もいけなければ、また物質の価値を全く否定したような唯心思想もいけないわけです。今日、経済を否定した生活は全く不可能であります。生活に即さない理論は空理、空論です。唯物主義も唯心主義も仏教の立場からいえば、いずれもそれは偏見です。つまり心によって、はじめて物の価値が現わされるとともに、物質によって、また精神の価値が、いっそう裏づけられるわけです。廊下に落ちている一枚の紙も、もったいないと感ずる人には、仏
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