よく大空を泳いでいます。自然の変化、人生の推移、少なくとも、私どもの世界には、永遠に常住なる存在は、一つもありませぬ。一生たった一度、「一|期《ご》一|会《え》」とは、決して茶人の風雅や、さびの気持ではないのです。茶の道は、一期一会の心をもたぬものには、ほんとうに味わわれませんが、人生のことも、やはり同じです。こういう気持をもたぬものには、人生の尊い味わいをつかむことはできません。まことに一切はつねに変化しつつある存在です。だから、たとい存在しているといっても、それは、仮の[#「仮の」に傍点]、一時的の存在でしかありません。仏教では、存在しているものを「有《う》」といっていますが、すべて「仮有《けう》」です。「暫有《ざんう》」です。とにかく、永遠なる存在、つねにある「常有の存在」ではありません。あの花を咲かせた桜も、新しい芽を出させた桜も、やがては、また花を散らす桜です。スッカリ枯れ木のようになってしまう桜です。所詮《しょせん》は、「散る桜[#「散る桜」は太字]、のこる桜も散る桜[#「のこる桜も散る桜」は太字]」です。だが、一たび冬が去り、春が来れば、一陽来復、枯れたとみえた桜の梢《こ
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