から」に傍点]、ない[#「ない」に傍点]、見えないから、ないとすぐに判断してしまうのです。しかし、ものが見えない[#「見えない」に傍点]から、ないのではありません。見ない[#「見ない」に傍点]から[#「見ない[#「見ない」に傍点]から」は太字]、ない[#「ない」は太字]ように思うのです。聞こえない[#「聞こえない」に傍点]から、ないのではなくて、聞かないから、ないと思うのです。見ようとしないもの、聞こうとしないものには、何事もないと同様です。
 いったい機縁というか、契機というか、機会《チャンス》というか、とにかく「縁」というものは不思議なものです。「縁なき衆生は度し難い」などと、昔からいっていますが、縁のないものには、如何《いかん》ともし難いのです。西洋の諺《ことわざ》にも、「機会《チャンス》は前の方には毛があるが、後には毛がない。機会《チャンス》が来た時、捕えればよいが、一度とり逃がしたら最後、脚《あし》の早いあのジュピターの神でさえ、捕えることができない」といっております。全くその通りです。私どもには、機会の来るのを待つ[#「機会の来るのを待つ」は太字]、時節[#「時節」に傍点]
前へ 次へ
全262ページ中260ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高神 覚昇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング