す。帰|命《みょう》の精神です。相手を絶対に愛し敬い、信頼することです。しかもその南無[#「南無」に傍点]の心を形によって示したものが、「合掌[#「合掌」は太字]」です。拝むことです。「右仏左は我と拝む手の、うちぞゆかしき南無の一声」と古人は教えています。両手を合わす右の手は仏陀《ほとけ》の世界です。左の手こそ、衆生の自分です。かくて、この両手を合わし、南無の精神に生きる所に、はじめて、私どもは、ほんとうに仏我れにあり[#「仏我れにあり」に傍点]、我れに仏あり[#「我れに仏あり」に傍点]、との安心《あんじん》を得ることができるのです。いくらラジオの放送はあっても、これを聴く機械を持たない人には、ないと等しいのです。しかもたとい聴く機械があっても、スイッチを入れておかなくては、機械がないと同じです。常恆《じょうご》不断に、絶えず放送しておられる、仏の説法も、「合掌」と言う機械があり、「南無」という電流を通じてこそ、はじめて、はっきりと聞くことができるのです。にもかかわらず、とかく私たちは、どういうものか、ひたすら科学的立場から、ものを見ることになれて、ただ、聞こえないから[#「聞こえない
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