ぼうとく》したのではないかとも怖《おそ》れている次第であります。古来、仏教では「法を|猥[#「法を|猥」は太字]《みだ》りに|冒[#「りに|冒」は太字]《おか》したものは[#「したものは」は太字]、その罪[#「その罪」は太字]、死に値す[#「死に値す」は太字]」とまで誡《いまし》めておりますが、この意味において、私もおそらく、死に値する一人でありましょう。地獄へ落ちてゆく衆生の一人でありましょう。しかし、私はそれで満足です。
仏教への門[#「仏教への門」は太字] いったい古人もしばしばいっているように、仏教への門は、所詮《しょせん》「信」であります。信ずる心です。しかも信とは、愛し敬うこころです。仏教を愛し、敬い、これを信ずる心がなくては、とうてい、仏教をほんとうに知る[#「知る」に傍点]ことはできないのです。合掌する心持、|南無[#「南無」は太字]《なむ》する心[#「する心」は太字]、それはいずれも信心のしるしです。信仰の象徴です。南無とは、決して南《みなみ》無《な》しではありません。
坊さんがお経を読む時に、唱える枕詞《まくらことば》でもありません。南無とは、実に帰依することで
前へ
次へ
全262ページ中258ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高神 覚昇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング