太字]ということです。あの比叡山《ひえいざん》をお開きになった伝教《でんぎょう》大師は、

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あのくたらさんみゃく(さみゃく)さんぼだい(さんぼじ)の仏たち
わが立つ杣《そま》に冥加《みょうが》あらせたまえ
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 と詠んでいられますが、「あのくたらさんみゃくさんぼだいの仏たち」というのは、ただ今申し上げましたように、無上正等覚を得たまえる仏たちよ、すなわち、ほんとうの悟りを得たまえるみ仏たちよ、という意味です。
 いつか、ある所へ講演に参りました時、私はある人から、
「いったい、仏さまには、楽しみばかりで、苦しみは少しもないものでしょうか」
 と問われたことがあります。その時、私はこう答えました。
「仏さまだとて、苦しみもあり、また楽しみもありましょう」
 といったところ、その人はいかにもけげんな顔をして、
「いったん仏様となれば、楽しみばかりで、苦しみはないと思っていましたが」
 といわれたのです。そこで私は次のように答えました。
 大悲の疾い[#「大悲の疾い」は太字] あの名高い『維摩経《ゆいまぎょう》』というお経には、「衆生の疾《やま
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