していても胸がせまってくるのです。
親への思慕は単なるセンチメント[#「親への思慕は単なるセンチメント」は太字] まことに「井戸のぞく子にありだけの母の声」です。親の愛は絶対です。今日の若い連中からは、あるいは頭の古いセンチメントだなんて笑われましょうが、親の情はほんとうにありがたいものです。その親の恩のわからぬ連中は人間の屑《くず》です。「親の恩歯がぬけてから噛みしめる」で、若い時分にはそれがハッキリわかりません。でも、だんだん齢《とし》をとり、自分が人の子の親になってみれば、誰《だれ》もそれがほんとうにわかってくるのです。科学的立場からいえば、親の流す涙も、恋人の流す涙も涙に変わりはないでしょう。分析すれば、水分と塩分とに還元せられるでしょう。しかし、涙には、甘い涙も、ありがたい涙もあるのです。悲しい涙もあれば嬉《うれ》しい涙もあるのです。それゆえ、私どもは、人生のことを、何もかも、すべて科学的な分析によって見てゆこうとすることは、無理だということを知らねばなりません。
さて本文の、
「三世の諸仏も、般若波羅蜜多《はんにゃはらみた》に依るが故に」
ということは、つまり般若は仏
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