いますが、要するに、私どもの迷いの心、「妄想」「煩悩」を吹き消した「大安楽の境地」をいうのです。「寂滅を以て楽となす」すなわち寂滅為楽《じゃくめついらく》などというといかにも静かに死んでゆくこと、すなわち「往生《おうじょう》する」ことのように思っている人もありますが、これは決して、死んでしまうという意味ではないのです。いったい世間で「往生する」ということを、死ぬことと混同して考えていますが、往生は決して死ぬことではない[#「往生は決して死ぬことではない」は太字]のです。古聖は、
「往生とは往《ゆ》き生まれることだ。仏法は死ぬことを教えるのじゃない。死なぬ法を教える[#「死なぬ法を教える」に傍点]のだ。浄土へ往き生まれることを、教えるのが仏法じゃ」
といっていますが、ほんとうにその通りです。「往生」ということも、「涅槃に入る」ということも、決して死ぬのじゃなくて、永遠なる「不死の生命[#「不死の生命」は太字]」を得ることなのです。したがって、「往生」することが、成仏《じょうぶつ》すなわち仏[#「仏」に傍点]になることです。仏となることは、つまり無限の生命を得ることなのです。ある仏教信者
前へ
次へ
全262ページ中187ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高神 覚昇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング