北条時宗は、祖元禅師から「妄想するなかれ」(莫妄想《まくもうぞう》)という一|喝《かつ》を与えられて、いよいよ最後の覚悟をきめたということです。
 究竟の涅槃[#「究竟の涅槃」は太字] 次に「究竟涅槃《くきょうねはん》す」ということですが、これを昔から、一般に「涅槃《ねはん》を究竟《くきょう》す」とよませています。しかし梵語の原典から見ましても、「顛倒《てんどう》を超越して究竟《くきょう》の涅槃《さとり》に入る」という意味になっていますから、これはやっぱり「究竟涅槃す」とよんだ方がよいと思います。ところで究竟ということは、つまり「究極」とか「終極」とか「最後」などという意味で、最終の最上なる涅槃《さとり》が、すなわち「究竟涅槃《くきょうねはん》」です。ところでこの「涅槃《ねはん》」ということですが、これは、世間でいろいろ誤解されているのです。しかし、このまえにもちょっと申し上げたごとく、それは仏教におけるさとり[#「さとり」に傍点]の世界をいったものです。すなわち涅槃の梵語は、ニイルバーナで、ものを「吹き消す」という意味です。で、普通にこれを翻訳して「寂滅」「円滅」「寂静」などといって
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