です。この『心経』に織りこまれている、般若の智慧によるならば、世の中のもの、皆すべてつまらぬものはないのです。いやすべては互いに裏となり表となり、陰《かげ》となり、陽《ひなた》となって生かし、生かされつつある貴い存在《もの》なのです。まことに、「つまらぬというは小さき智慧袋」です。私どもは、少なくとも私どもがお互いに誰でもが持っている霊性、すなわちこの般若の智慧を磨《みが》くことによって、一切のものの生命《いのち》を、より尊く、よりりっぱに活《い》かしてゆかねばうそだと思います。
波羅蜜多ということ[#「波羅蜜多ということ」は太字] 次に波羅蜜多《はらみた》ということは、般若と同様に、梵語の音そのままを写したものでありまして、原語はパーラミターというのです。ところで、いまそれを翻訳いたしますと、彼岸に到《いた》る、すなわち「到彼岸」という意味になるのです。しかし今日一口に彼岸というと、誰でもすぐにあの「暑さ寒さも彼岸まで」という春秋二季の彼岸を思い起こすのです。一年じゅうで一ばんよい時候、春と秋との皇霊祭(春分の日・秋分の日)を彼岸の中日として、その前後三日の間、合わせて七日間を彼岸
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