一面において、「人間は人間にとって神である」とさえいっております。何も彼《か》も、ことごとく「損得」の打算、すなわち「有所得」の心持で動かずに、時には打算を|超[#「打算を|超」は太字]《こ》えた[#「えた」は太字]「無所得」の心持になりたいものです。ほんとうの人間らしい心になりたいものです。そして単に利害とか損得ということだけでなく、正と不正、善と悪、といったような立場から、動きたいものです。われわれの日常の行動が、こういう基準によって行なわれなければ、断じて社会は円満に、円滑にはゆきません。つまりは道義に立脚する行為でなければ、ほんもの[#「ほんもの」に傍点]ではありません。この私の『心経』の講義をお聞きくださっても、おそらくそれは、金|儲《もう》けには、縁遠いことでしょう。直接には一銭の利益もないでしょう。一文の得もないでしょう。経済生活の上には、直接なんの関係もないでしょう。しかしです。「無用の用」こそ、真の用です。私どもはただ自然人としての自分のみを見ずして、文化人として、さらに宗教人[#「宗教人」に傍点]としての自分、いやほんとうの人間としての自分をかえりみなければなりませ
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