ちり》を払い、垢《あか》を除かん」
 正直な愚者周利槃特は、真面目《まじめ》にこの一句を唱えつつ考えました。多くの坊さんたちの鞋履《はきもの》を掃除しつつ、彼は懸命にこの一句を思索しました。かくて、永い年月を経た後、皆から愚者と冷笑された周利槃特は、ついに自分《おのれ》の心の垢、こころの塵を除くことができました。煩悩《まよい》の塵埃《けがれ》を、スッカリ掃除することができました。そして終《つい》には「神通説法第一の阿羅漢《あらかん》」とまでなったのです。ある日のこと、釈尊は大衆を前にして、こういわれたのです。
「悟りを開くということは、決してたくさんなことをおぼえるということではない。たといわずかなことでも、小さな一つのことでも、それに徹底しさえすればよいのである。見よ、周利槃特は、箒《ほうき》で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか」
 と、まことに、釈尊のこの言葉こそ、われらの心して味わうべき言葉です。「つまらぬというは小さき智慧袋」、私どもはこの一句[#「一句」に傍点]を改めて見直す必要があると存じます。
 無所得の天地[#「無所得の天地」は太字] さてこれからお話
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