夜の鐘は諸行無常、入相の鐘は寂滅為楽」などというと、いかにも厭世《えんせい》的な滅入《めい》ってゆくような気がします。しかし、それはさように考える方が間違いで、暁の鐘の音、夕を告げる鐘の音を聞くにつけても、私どもは、死に直面しつつある生のはかなさ[#「はかなさ」に傍点]を痛感すべきではあるが、しかもそれによって、私どもは今日生かされている、生の尊さ、ありがたさを、しみじみ味わわねばいけないということを唄《うた》ったものです。だから、「聞いておどろく人もなし」ではいけないのです。せめて鐘の音を聞いた時だけでも、自分《おのれ》の生活を反省したいものです。「真如《しんにょ》の月」を眺めるまでにはゆかなくとも、ありがたい、もったいないという感謝[#「感謝」に傍点]の気持、生かされている自分、恵まれているわが身の上を省みつつ、暮らしてゆきたいものです。鐘の音、といえば、かのミレーの描いた名画に「アンゼラスの鐘[#「アンゼラスの鐘」は太字]」というのがあります。年若き夫婦が相向かって立っている図です。互いに汚《きたな》いエプロンをかけて首《こうべ》をうなだれて立っている図です。今しも鍬《くわ》をか
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