住むこの世界は、あたかもさかんに燃えている火宅である、という釈尊のこの体験こそ、尊い人間苦への警告だったのです。苦諦の真理に対する目覚めだったのです。かくてこそ、

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如来《ほとけ》はすでに三界の火宅を離れて
寂然《じゃくねん》として閑居《げんご》し、林野に安処せり
今この三界は、皆是れ我|有《もの》なり
その中の衆生は、悉《ことごと》く是れわが子なり
しかもいま此処《ここ》は、諸《もろもろ》の患難《うれい》多し
唯《た》だ我一人のみ、能《よ》く救護《くご》をなす
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 という、われらに対する、仏陀《ぶっだ》の限りなき慈悲の手は、さし伸べられたのではありませんか。
 人生への第一歩[#「人生への第一歩」は太字] まことに「人生は苦なり」という、その苦の真理に目覚めることこそ、宗教への第一歩ではないでしょうか。しかし、所詮《しょせん》、第一歩はあくまで第一歩です[#「第一歩はあくまで第一歩です」に傍点]。それは決して宗教の結論ではないからです。宗教の全部ではないからです。いや、それは宗教への第一歩であるばかりではありません。苦の認識こそ、ほん
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