とうの人生に目覚める第一歩なのです。すなわち「苦」という自覚が機縁になって、ここにはじめてしっかりした地上の生活がうちたてられてゆくのです。したがって「苦の自覚」をもたない人は、人生の見方が浅薄です。皮相的です。「最も苦しんだ人のみ、人の子を教える資格がある」というのは、それです。お坊っちゃん育ちは、とかく何事を見るにつけ、するにつけ、みんな浅薄です。あさはかです。子供を育てる場合でも、このこつ[#「こつ」に傍点]が必要です。「かわいい子には旅させよ」とは、たしかに味わうべきことばです。
苦の原因[#「苦の原因」は太字] 次に第二の真理すなわち「集諦《じゅうたい》」とは、つまり人生の苦は、どこから起こるかというその「原因」をいったものです。すなわち「苦諦《くたい》」を、いま人生はどうあるかの問題に対する説明とすれば、「集諦」は、「なにゆえにそうであるか」の問題に対する説明ということができましょう。英語でいえばホワット(何か)とホワイ(なにゆえ)といってもよいでしょう。つまり「なにゆえに人生は苦であるか」という、その苦のよって来る原因の説明が、この「集諦」です。苦を招き集めるもの、いわ
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