に甘柿がありましょうか。
 釈尊の更生[#「釈尊の更生」は太字] その昔、釈尊は人間苦の解脱のために、出家せられました。妻子と王位とをふりきって、敢然として、一介の沙門《しゃもん》となり、そして決然、苦行禁慾[#「苦行禁慾」に傍点]の生活に入られました。しかし、六か年に亙る[#「亙る」は底本では「互る」]苦行の生活は、どうであったでしょうか。それは、いたずらに肉体を苦しめるのみで、そこにはなんら解脱の曙光《ひかり》は見出されなかったのです。ここにおいてか、最後の釈尊の到達した天地は、実に自我への鋭き反省でした。しかも、一たびは家を捨て、人を捨て、肉体までも捨てんとした釈尊は、菩提樹下《ぼだいじゅか》の静観によって、ついに心において復活したのです。「十二因縁一心による」という、無我《むが》の体験によって、人間としての釈尊は、まさに仏陀としての釈尊[#「仏陀としての釈尊」に傍点]となって更生されたのです。迷える人間の子|悉達《シッダルタ》は、ついに「因縁」、「無我」の内観によって、三界の覚者、仏陀《ほとけ》として、まさしく誕生したのです。仏誕ここに二千五百余年、釈尊は生まれ、そして彼岸へ逝
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