すます。にらみ返せば、にらんでかえす。ほんにうき世は鏡の影よ。泣くも笑うもわれ次第」
まったくそのとおりです。所詮、一心に迷うものは衆生です。一心を覚《さと》るものが仏です。小さい「自我」に囚われるかぎり、人生は苦です。たしかに人生は苦です。しかし、一たび小さい自我の「繋縛《けいばく》」を離れて、如実《にょじつ》に一心を悟るならば、一切の苦悩は、たちまちにしておのずから解消するのです。要は、一心の迷いと悟りにあります[#「一心の迷いと悟りにあります」に傍点]。まことに、
「眼裏《がんり》塵《ちり》あれば三界は窄《せま》く、心頭《しんとう》無事《ぶじ》なれば一|床《しょう》寛《かん》なり」
です。一心に迷うて、あくまで小さい自我に固執するならば、現実の世界は、畢竟《ひっきょう》苦《く》の牢獄《ろうごく》です。しかし、一たび、心眼[#「心眼」に傍点]を開いて、因縁の真理に徹し、無我の天地に参ずるならば、厭《いと》うべき煩悩《ぼんのう》もなければ、捨てるべき無明《まよい》もありませぬ。「渋柿《しぶがき》の渋がそのまま甘味かな」です。渋柿の渋こそ、そのまま甘味のもとです。渋柿を離れて、どこ
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