#「魂の故郷」は太字]」は、畢竟《ひっきょう》わが心のうちにあるのです。「家じゃ梅めが笑ってる」です。泣くも自分、笑うも自分です。悩むも、悦《よろこ》ぶも心一つです。この心をほかにして、この自分をのけものにして、どこにさとりの世界を求めてゆくのでしょうか。求めた自分《おのれ》は、求められた自分なのです。求めた心は[#「求めた心は」に傍点]、求められた心なのです。だから釈尊は、人間の苦悩《くるしみ》はどうして生ずるか、どうすればその苦悩を解脱することができるか、という、この人生の重大な問題をば、この「十二因縁」という形式によって、諦観《たいかん》せられたのです。そして無明を根本として、老死の道を辿《たど》り、同時にまた、老死[#「老死」に傍点]を基礎として、無明への道を辿り、ここに「十二因縁」の順と逆と[#「順と逆と」に傍点]の二つの見方によって、ついに「十二因縁皆心に依る」という、さとりの境地にまで到達されたのです。十二因縁皆心に依る[#「十二因縁皆心に依る」は太字]とは、まことに意味ふかい言葉ではありませんか。こんな唄《うた》があります。
「鏡にうつるわが姿、つんとすませば、向こうも
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