るか」に傍点]、結局、問題はその人の心構えの如何《いかん》です。私どもは、少なくとも因縁の真理、縁起の哲学を味わうことによって貧しくとも富める生活[#「貧しくとも富める生活」に傍点]をしたいものです。心にしっかりした拠《よ》り所《どころ》をもって、心に太陽をもって清く、正しく、明るいシッカリした生活を営みたいものです。おもうに、因縁の真理に徹し、般若《はんにゃ》の空を、真に味わい得た人こそ、まさしくそれは中道を歩む人です。げに生身《しょうじん》の活《い》きた観音さまは、かかる人々のうちから誕生するのです。
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第四講 永遠の生命
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舎利子[#(ヨ)]。
是[#(ノ)]諸法[#(ノ)]空相[#(ハ)]。
不生[#(ニシテ)]不滅。
不垢[#(ニシテ)]不浄。
不増[#(ニシテ)]不減[#(ナリ)]。
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 すでに私は『心経』の肝腎要《かんじんかなめ》となっている、いや、仏教の根本思想であるところの「色は即《すなわ》ち是れ空、空は即ち是れ色」(色即是空、空即是色)ということについて、一応お話ししておきました。そしてそのとき私は、一くちに「空」といっても、その空は「般若の空」で、有《う》(存在)に対する無《む》(非存在)というような、そんな、単純[#「単純」に傍点]な空という意味ではない、ということをお話ししておきました。ところが、これについて古人はこういう貴《とうと》い言葉を残しています。
 智慧と慈悲[#「智慧と慈悲」は太字] 「色即[#(チ)]是[#(レ)]空と見れば、大智[#「大智」に傍点]を成《じょう》じ、空即[#(チ)]是[#(レ)]色と見れば、大悲を成ず」
 と、いっておりますが、これは非常に考えさせられる言葉です。というのは、いったいここにいう大智[#「大智」に傍点]とは、大きい智慧《ちえ》、すなわちほんとうの智慧のことです。次に大悲というのは大きい慈悲、すなわちほんとうの慈悲のことです。仏教では、その智慧も慈悲も、共に空という母胎から産まれてくるものだというのです。いったい世間のものは、みんな十人十色で、どれだけ大勢《おおぜい》の人が集まっていても、寸分たがわぬ、同じ人間は、一人もありません。「似たとはおろか瓜《うり》二つ」などといいますが、よく
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