知らしてくれたのは」に傍点]、全く子の恩です[#「全く子の恩です」に傍点]。自己を忘れて子供をかわいがる[#「自己を忘れて子供をかわいがる」に傍点]。その無我の心持[#「その無我の心持」に傍点]、利他の喜び[#「利他の喜び」に傍点]を、教えてくれたのは、ほんとうに子供のおかげです。全くうき世のこと、すべて唯証相応です。自ら体験しないと、ほんとうの味がわかりません。
苦労人の世界[#「苦労人の世界」は太字] 一度も苦労したことのない人には、苦労人のもつ心境は少しもわかりません。入学試験に落第したことのない人には、とうてい落第した人の、悲痛な、やるせない心持がわかろうはずはありません。苦労した人のみ[#「苦労した人のみ」に傍点]、苦労した人を慰め[#「苦労した人を慰め」に傍点]、導き[#「導き」に傍点]、教えることができるのです[#「教えることができるのです」に傍点]。しかも、その慰めは決して言葉ではありません。心持です。気もちです。その態度です。黙って手を握る[#「黙って手を握る」に傍点]、それでよいのです。甘い言葉や、美しい言葉では、とうてい傷ついた人の心を、救うことはできないのです。
ごく親しい仲のよい友だちが久しぶりで偶然|出逢《であ》います。そんな時には、いろんな、めんどうな御無沙汰《ごぶさた》のおわびや、時候の挨拶《あいさつ》などはありません。「ヤア」「ヤア」といいながら、互いに堅く手を握り合う。それでよいのです。眼が口ほどに、いや口以上にものをいうのです。その「ヤア」という一言で、平素の御無沙汰やら、時候の挨拶は、みんなスッカリ解消してしまっているのです。
空の一字[#「空の一字」は太字] 話がつい横道にそれましたが、『心経』の空[#「空」に傍点]という一字の裡《うち》には、実に千万無量のふかい意味が、ふくまれているのです。有名なアインシュタインも空一元論を唱えています。たしか宗教哲学者オットーも、宗教の極致は空だと説いています。剣聖宮本武蔵も「空の一字を知れ」といって、門人を誡《いまし》めておりますが、空という一字のなかには、いろんな複雑な、そして深遠な、哲学も宗教も、ことごとく織りこまれているのです。しかもその「空」は仏教のエキスです。したがって空という文字を説明するとなると、なかなか容易なことではありません。しかもその甚深《じんしん》なる空を、
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