ぜんじ》は、善財の求道の旅[#「求道の旅」は太字]を讃嘆《さんたん》しておりますが、いうまでもなく、獅子とは、文殊菩薩のこと、象王とは普賢菩薩のことです。文殊と普賢[#「文殊と普賢」に傍点]の二人によって、まさしく青年善財は、ついに悟りの世界に到達したのです。私どもはバンヤンの『天路歴程《てんろれきてい》』や、ダンテの『神曲』に比して、優《まさ》るとも決して劣らぬ感銘を、この求道物語からうけるのです。私どもは善財童子のように、人生の旅路を、一歩一歩真面目に、真剣に、後悔のないように歩いてゆきたいものであります。
 さて前置きがたいへん長くなりましたが、これからお話しするところは、
「故に知る。般若波羅蜜多《はんにゃはらみた》は、是れ大|神呪《じんしゅ》なり。是れ大|明呪《みょうしゅ》なり。是れ無上呪《むじょうしゅ》なり。是れ無等等呪《むとうどうしゅ》なり。能《よ》く一切の苦を除く、真実にして虚《むなし》からず」
 という一節であります。
 不思議な呪[#「不思議な呪」は太字] ところで、ここで問題になるのは「呪」ということです。呪とは口偏に兄という字ですが、普通にこの呪という字は「のろい」とか、「のろう」とかいうふうに読まれています。で、「呪」といえば世間では、「のろってやる」とか「うらんでやる」という、たいへん物騒な場合に用いる語《ことば》のように考えられています。しかしまたこれと同時に、この呪という字は「呪文《じゅもん》を唱える」とか「呪禁《まじない》をする」とかいったように、「まじない」というふうにも解釈されているのです。毎日、新聞の社会記事に目を通しますと、呪禁《まじない》をやって、とんでもない事をしでかす人の多いことに私どもは呆《あき》れるというよりも、むしろ悲しく思うことがあります。怪しげな呪禁《まじない》や祈祷《いのり》をして、助かる病人まで殺してみたり、医者の薬を遠ざけて、ますます病気を悪くしてみたり、盛んに迷信や邪信を鼓吹して、愚夫愚婦を惑わしている、いいかげんな呪術師《まじないし》がありますが、ほんとうにこれは羊頭を掲げて狗肉《くにく》を売るもので、あくまでそれは宗教の名において排撃せねばなりません。世間には「真言秘密の法」などと看板を掲げて、やたらに怪しげな修法《しゅほう》をやっているものもありますが、真言の祈祷はそんな浅薄な迷信を煽《あお》る
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