見ていると、ようまあ子供をもったものだと思います。だがしかし、罪のない悪戯《いたずら》ならまだしも、突然、病気にでも罹って苦しむわが子のすがたをみると、ああ、子供なんかない方がよかった、などという愚痴も出ます。もたない人はもちたがり[#「もたない人はもちたがり」は太字]、もつ人はまた子供で苦労する[#「もつ人はまた子供で苦労する」は太字]。まことに「人間に子のあることの寒さかな」で、とかく人間は勝手なことを考えるものです。
 仏のなやみは利他的悩み[#「仏のなやみは利他的悩み」は太字] おもうに少なくとも、さとれる[#「さとれる」に傍点]仏陀《ほとけ》となれば、もちろん自分のための利己的な悩みはないでしょう。しかし、わが身のための苦しみはなくとも、世のための悩み、他人のための苦しみはキッとあるのです。といって、その悩み、その苦しみは、決して私どもの考えているような、苦しみでもなく、また悩みでもありません。その苦しみこそ楽しみ[#「苦しみこそ楽しみ」は太字]です。その悩みこそ悦《よろこ》びです。
「世に恋の苦しみほど、苦しいものはない。だが、その苦しみほど、楽しいものはない」
 と、ゲーテもいっています。譬喩《たとえ》としては、はなはだ不似合いなたとえでしょうが、私どもは、そこに迷情を通じて、かえって、仏心の真実を味わうことができるのです。
 般若の智慧を磨け[#「般若の智慧を磨け」は太字] 要するに、この『心経』の一節は、三世の諸仏も、皆この般若の智慧によって、まさしく、ほんとうの正覚《さとり》を得られたのである。だから私どももまた般若の智慧を磨くことによって、みな共に仏道を感じ、真の菩提《さとり》の世界へ行かねばうそだ、ということをいったものであります。
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第十一講 真実にして虚《むなし》からず
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故[#(ニ)]知[#(ル)]般若波羅蜜多[#(ハ)]。
是[#(レ)]大神呪[#(ナリ)]。
是[#(レ)]大明呪[#(ナリ)]。
是[#(レ)]無上呪[#(ナリ)]。
是[#(レ)]無等等呪[#(ナリ)]。
能[#(ク)]除[#(ク)][#二]一切[#(ノ)]苦[#(ヲ)][#一]。
真実[#(ニシテ)]不[#レ]虚[#(カラ)]。
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 空間の一生[#「空
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