」というがごとく、病気をいたずらに自分を苦しめる悪魔と考えずに、天使と思って、病気と一つになることです。つまり、病気の三昧《さんまい》に入ることです。そうすればかえって病気は癒《なお》るのです。いや快くならないまでも、病気に安住することができるのです。「病気になった方がよろしく候」というのは、たしかにそれです。病気という災難を逃《のが》れる妙法は、まさしく病気になりきってしまう[#「なりきってしまう」は太字]ことです。病に負けぬことです。私の友人に荒谷実乗という人がいます。たいへん豪胆な、意志の鞏固《きょうこ》な男ですが、彼がかつて軍隊にいた時、何かのはずみ[#「はずみ」に傍点]で、脚部《あし》を負傷したのです。どうしても手術をしなくてはならぬようになって、いよいよ入院して手術室に入りました時、彼は軍医に、麻酔剤の必要はないといって、敢然と手術台に上ったのです。そして非常な苦痛を堪え忍んで、とうとう完全に手術をしてもらったというのです。当時のありさまを彼は私にこういっていました。「自分はどれだけ苦痛に堪え得るものか、それを試《ため》してみたかったのだ」
なるほど、こうなれば人間も大丈夫です。自分で自分を試してみる[#「自分で自分を試してみる」に傍点]、苦痛と戦う自分を客観視するだけのゆとりができれば、もうしめたものです。諺《ことわざ》にも「病は気から」というくらいです。病気に負けてはなりません。病気に勝つことが必要です。いや、勝つか、負けるかを越えて、それにしっかり安住することです。しかしそれは結局、私たちの気持です。心もちです。
今日の問題は戦うこと[#「今日の問題は戦うこと」は太字] 「今日の問題は何か、戦うことなり。明日の問題は何か。勝つことなり。あらゆる日の問題は何か。死すことなり」
と、ヴィクトル・ユーゴーは、あの有名なる『レ・ミゼラブル』の巻頭に書いております。まことに今日の問題は戦うことです。あらゆる災難と戦うことです。清き正しい心をもって飽くなき肉慾《にくよく》と戦うことです。少なくとも「今日の問題」は、所詮《しょせん》、霊と肉との争闘《あらそい》です。しかして、明日の課題は、霊によって肉を征服することです。悟りの智慧によって、迷いの煩悩《ぼんのう》をうち破ることです。だが、あらゆる日の問題は、死ぬことだという、この厳粛なることばを、私どもはよ
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