「他人を咎《とが》めんとする心を咎めよ」と清沢満之はいっています。そうした宗教的反省[#「宗教的反省」に傍点]こそ、私どもにいちばん大切な心構えだと思います。次に愛語とは、情のこもった、慈愛に充《み》ちた言葉づかいです。荒々しい棘《とげ》のある言葉づかいでは、相手の反感をそそるだけです。全く、丸い玉子も切りようで四角[#「丸い玉子も切りようで四角」は太字]にも三角にもなるごとく、ものもいいようで角《かど》がたつのです。あえて外交的辞令を用いよとは申しませぬが、お互いに言葉づかいに気をつけねばなりません。言葉の使いようで、成り立つことも成り立たぬ場合が往々あるのですから、もちろん、顔つきや、言葉づかいは、人格の自然の発露で、肝腎《かんじん》の人格の修養を度外視して、それだけを注意すればよいというのではありません。しかしとにかく和顔《わげん》と愛語の二つは、我人《われひと》ともに十分に、心懸《こころが》けねばならないと存じます。とくに婦人の方には、この点を十分に反省してほしいと思います。どれだけ顔が綺麗《きれい》でも、この二つのものが欠けていたらゼロです。無愛想だとか、無愛嬌《ぶあいきょう》だとか、いやな女[#「いやな女」に傍点]だ、などといわれるのは、多くそこから起こるのです。「ぶらずに、らしゅうせよ」と古人もいっていますが、女らしさ[#「女らしさ」に傍点]はここにあるのです。ところでここで一言申し上げておきたいことは、「和」ということです。「和を|以[#「和を|以」は太字]《もっ》て|貴[#「て|貴」は太字]《たっと》しとなす[#「しとなす」は太字]」(以[#レ]和為[#レ]貴)と、聖徳太子も、すでにかの有名な十七条の憲法の最初に述べられているごとく、何事によらず「和」が第一です。個人と個人の間でも、ないし社会、国家においても、この「和」ほど貴いものはないのです。和とは「平和」「調和」です。敗戦後の日本には、どこを探してもこの和がありません。今日こそ全く失調時代です。したがって私どもはなんとしても一日も早く和をとり戻《もど》さなくてはなりません。まことに「天の時は地の利に如《し》かず、地の利は人の和に如かず」で、和の欠けた国家が隆昌《りゅうしょう》し、発展したためしはありません。私どもは和衷協同の精神をもって、互いに愛しあい、労《いた》わりあい、助け合って、すみやか
前へ 次へ
全131ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高神 覚昇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング