る頃は、日はもう湖の向ひの山へ傾いてゐるのである。湖面を吹く風は、障るものなき氷上を一押しに押して来る。「まんのんが」を持つ手は時々感覚を失はんとするまでに凍える。その時には、携へた火鍋《ひなべ》(鍋の手を長くして附けたものである)の中で、用意の榾木《ほたぎ》を焚くのである。或は又、氷の上で直接に藁火を焚くことがある。氷の上で焚火をして、その氷が解けてしまぬ程に、氷が厚いのである。大凡《おおよそ》周囲四里半の氷上にあつて、漁人の生活は、全く世の中との交渉を杜絶する。只日に一度、弁当を提げて漁場へ運んで来る妻女の姿が氷上に現れる。氷を滑り鴨を追つて遊ぶ子どもの群れが、漁猟の多寡《たか》を見るために、ここの「やつか」へ立ち寄ることもある。さういふことが、単調な漁人の生活に僅少の色彩を与へる。「たたき」で捕つた魚も、「やつか」で捕つた漁も、所謂《いわゆる》氷魚《ひお》であつて、膏《あぶら》が乗り肉が締まつて甚だ佳味である。併《しか》し、その佳味は、これら漁人の口に上ることは稀であつて、多く、隣の町へ運ばれて、多少の金と換へられるのである。
氷切りの作業は、快晴の夜を択んで行はれる。温度が低
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