寒さにあつても、人々は家の内に蟄して、炬燵《こたつ》に臀《しり》を暖めてゐることを許されない。昼は氷上に出て漁猟をする人々があり、夜は氷を截《き》つて氷庫に運ぶ人々がある。氷庫といふのは、程近い町に建てられてある湖氷貯蔵の倉庫である。
 この頃、私の村では、毎朝未明から、かあんかあん[#「かあんかあん」に傍点]といふ響が湖水の方から聞えて来る。これは、人々が氷の上へ出て、「たたき」といふ漁をするのである。長柄の木槌で氷を叩きながら、十数人の男が一列横隊をつくつて向うへ進む。槌の響きで、湖底の魚が前方へ逃げるのを段々追ひつめて予《あらかじ》め張つてある網にかからせるのが「たたき」の漁法である。私の家は、村の最高所にある。庭下の坂が直ぐ湖氷に落ちてゐるのであるから、一列の人々を見るには、可なり俯《ふ》し目《め》にならねばならぬ。俯し目になつた視線が、氷上の人まで達する距離は可なりあるのであるが、氷上の人の槌を揮《ふる》ふ手つきまで明瞭に見える。氷を打つ槌先が視覚に達する時、槌の音はまだ聴覚に達しない。次の槌を振り上げるころに漸《ようや》く槌音が聞こえる。それで、槌の運動と音とが交錯して目と
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