した肉腫が頭となって、全体が恰《あだか》も一種の生物の死体ででもあるかのように、血に塗《まみ》れて横たわって居た。患者の顔には、無力にされた仇敵《きゅうてき》を見るときのような満足な表情が浮び、二三度その咽喉仏《のどぼとけ》が上下した。彼の眼は、二の腕以下の存在には気づかぬものの如く、ひたすらに肉腫の表面にのみ注がれた。
凡《およ》そ三分ばかり彼は黙って見つめて居たが、急にその呼吸がはげしくなり出した。ヨードホルムのにおいが室内に漂った。
「先生!」と彼は声を顫《ふる》わせて叫んだ。「手術に御使いになった小刀を貸して下さい」
「え?」と私はびっくりした。
「どうするの?」と細君も、心配そうに彼の顔をのぞき込んでたずねた。
「どうしてもいいんだ。先生、早く!」
私は機械的に彼の命令に従った。二分の後私は、手術室から取って来た銀色のメスを盆の上に置いた。
すると彼は、つと、その左手をのばして、肉腫を鷲づかみにした。彼の眼は鷲のように輝いた。
「うむ、冷たい。死んでるな!」
こういい放って彼は細君の方を向いた。
「お豊? この繃帯を取って、俺の右の手を出してくれ!」
この思いもよら
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