なら、無論詮索する必要はないのだ。又、たとい、死んだ本人の自筆の投書であっても、これまたさほど珍らしがらなくてもよいことだ。世の中には随分悪|戯気《ふざけ》の多い人もあるから、大に警察を騒がせて、草葉の蔭から笑ってやろうと計画する場合もあるだろう。また、遺書が自作の文章でなくて、他人の引き写しであってもこれも、別に深入りして詮索するに及ばぬことだ。こうした例はこれまでにもなか/\沢山あった。ところがこの二箇の、詮索を要せぬ事情が合併すると、そこに、はじめて詮索に価する事情が起って来るのだ。この場合自殺者が、遺書と投書とを同じ時に書いたということは、少くともある目的、而《しか》も、たった一つの目的のために書かれたことになる。従って、その目的を詮索する必要が起って来るのだ」
「その目的はやはり、夫人と愛人とを罪に陥れるためではなかったでしょうか」
「それならば、もっと他殺らしい証拠を造って然るべきだ」
「それでは、単なる人騒がせのための悪戯でしょうか」
「悪戯としては考え過ぎてある。現にこの投書は、今少しのことで捨てられてしまうところだった。この投書を見なかったならば、僕もこのように興味を
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