ありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或《あるい》は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであろう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝えずとも善《よ》い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いている。この短篇の主人公は何のために自殺するかを彼自身も知っていない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部[#「動機の全部」に傍点]ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。自殺者は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。が、少くとも僕の場合は唯《たゞ》ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであろう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にいない限り、僕の言葉は風の中の歌のように消えることを教えている。従って僕は君を咎《とが》めない。……
[#ここで字下げ終わり]
 先生はそれ
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