でも、この文句の全部に眼をとおされたのだった。そうして読み終ってから、
「この筆蹟は本人に間ちがいないのかね?」
と、たずねられた。
「それは間違いないそうです」
 言う迄もなく先生は筆蹟鑑定のオーソリチーだ。以前の先生ならば、こうした変った遺書はきっと興味をひくにちがいないのだが、
「そうか」と答えられたゞけであった。そうして、僕に紙片を返しながら、
「それでは、涌井《わくい》君、君にこの事件の鑑定をしてもらうことにしよう」と、言い放って、再び雑誌の方を向いてしまわれた。
 あとでわかったことだが、毛利先生がその雑誌の方へ心を引かれて居られたのも無理はないのだった。其処《そこ》には、先般学会で先生が大討論をなさった狩尾博士の論文が掲載されて居たからである。ここで序《ついで》に、僕は毛利先生と狩尾博士との関係を述べて置こう。この二人が日本精神病学界の双璧だったことはすでに述べたが、毛利先生を堂上《どうじょう》の人にたとえるならば、狩尾博士は野人であった。すでにその学歴からが、毛利教授は大学出であるのに、狩尾博士は済生学舎《さいせいがくしゃ》を出てすぐ英国に渡って苦学した人だった。そうし
前へ 次へ
全42ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング