も》し容疑者が真犯人であったならば、大《おおい》に精神的苦痛を与えてやらねばならぬと私は考えたのであります。つまり、真犯人が容疑者となって居《お》る場合には、精神的拷問は欠くべからざるものだと思いました。
然し、真犯人が果して容疑者となって居るか否かということはもとより誰にもわかりません。そこで私は、容疑者が真犯人である場合にのみ、精神的拷問となり、真犯人でない場合には、同じ方法を講じても、少しも精神的拷問にはならぬという手段を発見しなくてはならぬと思いました。ところが、熟考の結果、この問題は比較的容易に解決されることを知ったのであります。
第一に私は、殺された死体を、法医学教室で、直接、容疑者に見せて、そのときに、その容疑者に起る生理的変化を観察してはどうだろうかと考えました。御承知の通り、人を殺したものはその死体を非常に見たがるものです。而も死体を見ると、一種の恐怖と不安とを覚えますから、当然、心臓の搏動数や呼吸の数が増加する筈です。で、それ等のものを、測定器によって計測したならば、ある程度まで犯人か否かを発見することが出来るばかりでなく、じっと死体を見つめて居ると、今にもその
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