証拠の出ない場合に、何とかして、いわば法医学的に、犯人の自白を促がす方法はないものかと頻《しき》りに考えるようになりました。先年|物故《ぶっこ》したニューヨーク警察の名探偵バーンスは、かような場合、犯人の急所を突くような訊問をして、いわば一種の精神的拷問を行い、巧みに犯人を自白せしめる方法を工夫し、所謂「サード・デグリー」と称して、今でもアメリカの警察では頻りに行われて居《お》りますが、サヂズムを持った私は、この「サード・デグリー」に頗《すこぶ》る興味を持ち、法医学の立場から、これと同じような方法を工夫し、犯人に苦痛と恐怖とを与えて、自白せしめるようにしたいものだと色々考えて見たのであります。
現今の犯罪学者は、口を揃えて、拷問ということを排斥して居《お》ります。たといそれが精神的拷問であっても、やはり絶対に避くべきものであると論じて居《お》ります。尤も、拷問ということは、無辜《むこ》のものを有罪とし、有罪のものを無辜にするからいけないというのが主要な論拠でありまして、従って、グロースやミュンスターベルヒの考案した心理試験をも、拷問と同じだからいけないと批評して居《お》りますが、若《
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