の?」と申したそうです。「繁さん」であったか「常さん」であったか、女中ははっきり覚えて居ないと申したそうです。
 それに対して、男は何か云ったそうですがよく聞きとれなかったということです。とりあえず女は男を奥の座敷に招じ入れ、頻《しき》りに密談して居たが、やがて女は、女中を御湯に行かせ、附近の料理屋で、二人前の料理をとって来るよう命じたそうです。
 それから女中が帰って来るまでに凡《およ》そ一時間かかったそうです。四月末のこととて、もうその頃はすっかり夜になって居ましたが、家の中が静まりかえって居たので、不審に思って奥の座敷の襖《ふすま》をあけて見ると、女は首に手拭を巻かれて、仰向きに死んで居たそうです。女中は夢中になって交番にかけつけ、男の左の頬に痣のあることと、着て居た衣服《きもの》の縞柄とを話したので、直ちに非常線が張られ、その夜の十時頃、男は上野駅で逮捕されたのだそうです。
 彼は直ちに警察に拘引され、とりあえず女中を呼んで見せると、この人に間ちがいないと証言したそうです。ところが彼は何をたずねても知らぬと言い張り、そんな女の家をたずねたこともなければ、この女中も見たことがない
前へ 次へ
全29ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング