中《しょくあた》りのようでしたので、たぶん暑気にでも当てられたのであろうと思って、その日は医師を招かないのでしたが、夕方になってさいわいに嘔吐もなくなり熱も去って、翌日は何の異常もなく過ぎました。
ところが、さらにその翌日、すなわち七月二十五日にやはり先日と同じような症状が始まり、あまりに嘔吐がはげしくて一時人事不省のような状態に陥ったので、令嬢のきよ子さんは慌てて女中を走らせ、かかりつけの医師山本氏、すなわちあなたの診察を乞《こ》うたのでした。その結果、おそらく食物の中毒だろうという診断で、頓服薬《とんぷくやく》をお与えになりますとその効があらわれて、夕方になると嘔吐は治まり、熱も去って患者は非常に楽になり、その翌日は何のことなく過ぎたのであります。
するとまたその翌日、七月二十七日に、やはり前回と同じ時刻に同じような症状が始まり、嘔吐ばかりでなく下痢をも伴い、患者は苦痛のあまり昏睡《こんすい》に陥りました。急報によって駆けつけたあなたは、患者の容体のただならぬのを見て、初めて尋常の中毒とは違ったものであろうとお気づきになりました。で、あなたは令嬢に向かって、周囲の事情をお訊《き》きになりました。
その時、令嬢の話した事情というのが、あなたの疑惑をいっそう深めたのでした。しかし、その事情を述べる前に、わたしは奥田一家の人々について申し上げなければなりません。主人はもと逓信省の官吏を務めていたのですが、いまから十五年前に相当の財産を残して死去し、男勝りの未亡人は三人の子を育てて、他人に後ろ指一本指されないでいままで暮らしてきました。長男を健吉《けんきち》、二男を保一《やすいち》、その妹がきよ子さんですが、長男の健吉くん一人は未亡人にとって義理の仲なのであります。義理の仲といっても、主人の先妻の子というのではありません。奥田氏夫妻は主人が四十歳を過ぎ、夫人が三十歳を越し、結婚後十年を経ても子がなかったので、遠縁に当たる孤児の健吉くんをその三歳のときに養子として入籍せしめて育てたのであります。ところが皮肉なことに、健吉くんを養子とした翌年、夫人が妊娠して保一くんを産み、さらにその二年後きよ子嬢を産みました。こうしたことは世間にしばしばあることで、かかる際、義理の子はいわば夫婦に子福を与えた福の神として尊敬されるのが世間の習いですが、奥田家においても、健吉くんは実子
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