無形の蜂
ヒステリーの女の話である。
ある若いヒステリーの女が、寝椅子に腰かけていた。それは夏のことであって、部屋の隅に煽風機がかけられてあったが、静かな空気の中で、まるで生き物であるかのような音を立てていた。やがてドアーを叩く音が聞え彼女の許可の言葉と共に這入《はい》って来たのは、毎日来る若い医師であった。
医師の姿を見るなり、突然彼女は立ち上って、
「ああ先生大へんです、あんな大きな蜂が、あれあれ私を……」と言って逃げ廻ろうとするので医師は驚いて、
「心配しなくともよろしい、蜂は窓から追い出してしまえばよろしい」
「いえ、いえ、いけません、いけません、あれあれ、私の眼の方へ……あ痛ッ」
と言って彼女は両手で顔を押えてその場に蹲踞《うずくま》ってしまった。
あまりの事に医師はあきれて暫らく、為《な》すところを知らなかったが、やがて彼女を抱き起してその手を除くと、驚いたことに右の下瞼が杏《あんず》の大きさに腫れ上っていた。それは恰度生きた蜂に刺されたのと少しも違わず激しい痛みを伴い、強い潮紅を呈していた。
予言の不思議
「流竄《るざん》中のカイゼル」の著者ベン
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