いて、彼女の一人娘に手篤い看護を受けていた。
母一人、子一人のことであるから、娘は必死になって介抱に努めたが、薬石効なく遂に母親は悲しき息を引き取った。
すると娘の悲嘆は絶大であった。彼女はもう二十歳過ぎていたから相当に理性も発達していたのであるが、何しろ杖とも柱とも頼っていた母に死なれたことであるから、絶望のあまり取り乱してしまったのである。彼女は医師や親戚の者の前をも構わず泣き叫び、ただ泣いてだけいるならよいが後にはまるで発狂したように部屋の中を走り廻り、狂いたけって人々の制するのもものかは今一時間も過ぎたらほんとうに気が違ってしまいはせぬかと危まれて来た。と言って、最早手出しをするものさえなく、人々は只もう黙って彼女の取り乱した姿を眺めているより他はなかった。
突然。
「ピシリ!」
という音が部屋の中で響いた。それは恰度眼に見えぬ何者かが、彼女の耳を叩いたかのように思われた。
すると今迄狂い叫んでいた娘は急に静かになり、まるで狂気から回復したかのように真面目な姿になり、隣室にある母の死体の側に近寄って、人々と懇《ねんご》ろに葬式の相談などをするのであった。
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