あるし、又、ルコックの出て来る小説も、長短篇合せると相当の数になるから、已《や》むを得ない訳であろう。
 総じて探偵小説にあらわれる素人探偵は、警察の探偵を翻弄する。例えばシャーロック・ホームズはレストレードを翻弄し、ルコックはゲヴロルを物ともしない。そうして、ヂュパンも同様に警察官を嘲弄しているのであって、このこともやはりヂュパンがその元祖となっているのである。実際ポオの書いている如く、ヂュパンの智嚢《ちのう》は「病的」であるほど深いのであるから、丁度カーライルが、彼の同時代の英国民を「四千万の愚物」と称して嘲ったように、警察の探偵を嘲ったのは無理もないことである。
 が、実際の探偵から見れば探偵小説の探偵ほど実在性の少いものはなく、これはかのフランスの名探偵ゴロンが特に指摘した点である。しかし小説は畢竟小説であって実世間の記録ではないから、今後の探偵小説家も、よろしく、警察の探偵を罵《ののし》り散らすような素人探偵を描くがよかろう。
 いや、思わずも筆が脇道に走って、概念論を書いてしまったが、さて、ヂュパンに対して私がどんな感じを抱くかというに、まるで一種の機械を見るような感じがす
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