はっきりわかる真面目顔になり、しばらくの間黙って考え込みました。
 わたしはなんとなく気まずい思いをして町田と顔を見合わせ、雨に叩《たた》かれている海の上に目を放ちました。とその時、紳士は突然、
「こんなことを言うと変に思いになるかもしれませんが、よしそれが冗談であるにしても、若い女の身体へ絵を描《か》くことは決してなさるものではありませんよ」
 と言いました。
 紳士の声がいかにも鹿爪《しかつめ》らしかったので、わたしたちは思わずその顔に見入りました。
「それはまたなぜですか」
 と、町田が訊ねました。
 紳士はまたもやしばらく黙っていましたが、ちょっと軽い溜息《ためいき》をついて、
「うっかりすると、意外な悲劇が起こらぬとも限らないからです」
 と言いました。
 わたしは少々薄気味の悪い思いをしました。その時、湿っぽい風が吹いてきて、夏ながらぞっとするような感じを喚《よ》び起こしました。いったいこの紳士は何者であろう。なぜこんな気味の悪いことを言うのであろう。女の身体に絵を描くことがなぜ意外な悲劇を起こすのであろう。と、これらの疑問が浮かぶと同時に、わたしの心の中には一種の好奇心が
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