には、頸動脈が圧迫されるので、脳への血行が遮断され、それがために何の苦痛も感じないということだ。けれども、君も経験したことがあるだろう、息のつまるときの感じを。あの厭な感じが、きっと縊死には伴うだろうと僕は思うのだ。それが僕には何としても堪えられないのだ。僕は別に縊死に対して美的嫌悪を感じない。それは決して美しい姿ではないが、どんな方法で死んだところが、死の姿はさほど美しいものではないのだ。だから、特に縊死を醜いとも思わぬが、縊死する瞬間に起こるであろう苦しい感じ、いわば生き埋めの時に起こるであろうところの恐ろしさ、かの精神分析学者のいわゆる、子宮内にとじこめられて居たときに得た恐怖その恐怖感の起こるのが、如何にも忍び得ないのだ。実際には或はそのような恐怖は起こらないかも知れない。けれども、起こるであろうと想像されるのが厭で厭でならぬのだ。
だから、僕は縊死はやめた。又、創傷《そうしょう》を造って死ぬのは痛いから厭だ。で、僕は毒薬死を選ぶことに決したのである。
しかし同じ毒薬でもはげしい症状を伴うものは好ましくない。又味の悪いのも面白くない。亜砒酸は無味であるけれども、劇烈な胃腸症
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