もったというよりも考えることを余儀なくされたといった方が適当であろう。
僕は昨日の晩まで、自殺すべき事情が発生するとは夢にも思わなかったのだ。だから、君たちの接吻を見た瞬間に自殺を決心しても、そのとき、ナイフを以って居るでなし、毒薬を携えているでなし、すぐさま自殺を決行するだけの条件がととのって居なかったのだ。だから、当然、いかなる方法をもって死ぬべきかに考え及んだのである。
さて、いよいよ自殺方法を考えるとなると、不思議なもので、おいそれ[#「おいそれ」に傍点]と決定することは出来ぬものだ。もしあの時、身辺に日本刀があったならば、僕は何の躊躇もなくその鞘を払って頸動脈を切ったであろう。もし又、窓の前が千|仞《じん》の谷になって居たならば、有無をいわず、この身を投げたであろう。
然るに、一旦、どの方法を選ぶかということになると、もはや、日本刀の鞘を払う気にもなれなければ、千仞の谷に近よることもいやになった。共に苦痛を伴うからである。だから、僕は苦しまずに死ねる方法を考えたのだ。
苦しまずに死ねる一ばんよい方法といえば、縊死《いし》に限るということを法医学の講義できいた。縊死の際
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