いあらわし難い状態であるからだ。
 いずれにしても僕は、この喜劇を演じようと決心したのだ。そうして、僕が自殺を決心するまでには、決して二年も一年も半年も半ヶ月も要しなかったのだ。
 君と恒子さんとが接吻したのを僕が見たのは実に昨日の晩である。僕は昨日の昼まで恒子さんは自分のものと信じていたのだ。だから、僕は君たちの抱擁を見た瞬間に自殺を決心したのだ。それはもはやいかなる反省も妥協も許さないのだ。もし、聊《いささ》かの反省と妥協とを許したならば必ずそこに不安が生ずる。それこそ名状し難い不安が生ずる。それはいわゆるぼんやりした不安だ。そうしてその不安のために、自殺を行うに至るまで、いたずらに月日が経過する筈だ。
 然し僕の場合には、反省の余地も妥協の余地もないのだ。だから、僕はまっしぐらに自殺決行につき進もうとしたのだ。
 然らば君は問うであろう。何故に僕が、昨日の晩、すぐさま自殺を決行しなかったかと。いかにも、この質問に対しては、僕も明瞭な返答をなし得ないのを悲しむ。けれども、僕が自殺を決心した次ぎの瞬間、自殺方法について、考えをめぐらせるだけの余裕をもったことは事実である。いや、余裕を
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